先日『父親が救急車で病院に運び込まれた…。様子を見にきてくれないか』と、70代半ばになる私の母親から『電話があったよ!』と、私のカミさんから話がありました。
それを聞いた時に思った私の正直な気持ちは『とても面倒くさいな~!』です。『大丈夫かな?』など、本当に申し訳ないけど微塵も思いませんでした。
『なぜ、そう思ったのか?』
それは、私が物心ついた時から高校卒業して家をでるまで、ずっと父親から『虐待されていたから…』です。
高校を卒業してから今に至る(50歳)まで、実家にはほぼ泊まることはなく、年に1度会うか会わないか。
両親と実家から極力距離を置き30年以上の時が流れ、今では普段の生活上ではだいぶ癒されたものの、それでもなお忘れたくても忘れられない経験です。
あの頃の息苦しい毎日を思い出すと、今でも『実家に近づきたくない・両親と関わりたくない』という気持ちが、ふつふつと湧いてきます。
カミさんは、私が小さい頃『虐待』されたことは知りません。
私は、そのことを人に知られたくなかったので、今までカミさんや娘にも、誰にも話することはありませんでした。このブログが初めてです。
でも今回の出来事をきっかけに、『自分の家族、自分の人生の今後の対応も含め、もやもやとしている自分の気持ちを整理する必要がある!』と感じました。
ブログを書くことで考えもまとまるし、新たな発見もあります。だから、ここに備忘録として残しておきたいと思います。
スポンサードリンク私の父親は、一方的に無理やり自分の考えを押し付けてくる人間で、いくら『嫌だ!』と言っても聞き入れないし、それどころか『殴る』ことで恐怖心を植え付け言うことを聞かせる…というタイプの人間です。
したがって物心ついたころから高校を卒業するまでの約18年間私は、ずっと父親から怒られ・ひどいことを言われ・殴られ…、精神的にも肉体的にも虐待を受けて育ってきました。
例えば、私は自分の家に帰るのが本当に嫌でした。
本来早く帰りたいと思えるリラッックスできる場所のはずなのに、、、当時の私にとって自宅とは、虐待を受ける息苦しい場所・地獄の館でした。
早く家に帰りたいと言っている友達が、本当に羨ましかったです。
また、家族でどこかに遊びに行った記憶はあるものの『楽しかった!』という思い出は、何一つありません。
それどころか、遊びに行っても『あればダメ・これはダメ・うるさい静かにしてろ…』など、すぐに怒られ・殴れ、やりたいことが何一つできない状況だったので、小さい頃は家族でどこかに出かけるのが嫌で嫌で、本当に苦痛でした。
でも『行きたいくない』とも言える状況ではなかったので、精神的にかなり追い詰められた状況でした。
常にこのような状況であったことから、私は親から怒られないために『嘘』をついてまでも機嫌をとるようになりました。でも子供の『嘘』なんてすぐばれ、逆に『お前は嘘つきだ!』と怒られ、『なぜ嘘をつくんだ!』と殴られました。
また、小学校1年生から中学校時代にかけては、特に『勉強』ということについては、異常とも思えるほどに虐待を受けていました。
今では、それを『教育虐待』と言うそうですが。。。
※「教育虐待」とは、「あなたのため」という大義名分のもとに親が子に行う、行き過ぎた「しつけ」や「教育」のこと。
毎日、勉強を教えるという大義名分のもと、恐怖の虐待の時間が始まります。
そこでは毎日毎日『なぜ、できないんだ?』と怒られ・殴られ、逆にできると今でもよく覚えているのですが『カンニングしたんじゃないか!』と言われ本当に傷つき、結局何をやっても怒られ・殴られるので、毎日よく泣いていたのを良く覚えています。
そして、泣けば『お前は泣き虫だ!』と言われ、全く逃げ道といくものがなく精神的に毎日が苦痛でした。あの時は父親に対して『早く死んでくれ!』と、心底思っていました。
もちろんこんな勉強の教え方では、成果に結びつくことは全くありません。むしろ完全に逆効果であったのは言うまでもありません。
そして中学生になる頃には、父親が仕事から帰ってくる時の車のエンジン音を聞いただけで、息苦しく気持ち悪くなり、恐怖すら感じる状況でした。
家を出てからも数年間は、寝ている時に同じ車のエンジン音を聞いただけでも、恐怖で目が覚めるくらいで、精神的に本当につらい状態でした。
このような状況でも、母親や親戚の者など、見て見ぬ振り。父親を誰も止めることはありませんでした。だから今でも母親や親戚対して不信感があり、自分の本当の気持ちを話しすることができません。
今でこそ『虐待』は、社会問題として認知されるようになりましたが、当時は『虐待されていた』ということに気づいていませんでした。
でも、私がある程度の大人になってからTV等で『虐待』が問題視されるようになり、内容がわかると『あれは、虐待だったんだ』と自覚するようになりました。
このような精神状態で育つと、人間形成・性格にはかなりの影響があったと思います。この歳(50代)になっても、怒った時の感情をうまくコントロールできない瞬間があります。
このことは自分でも自覚できるのですが。。。
例えば、ペットの犬に対しても言うことを聞かないと、必要以上に怒ったりしてしまい、自分の気持ちを抑えることができないのです。
このようなことから虐待をされて育った人間は、逆に虐待をする人間になってしまうと感じます。
だから20代の頃は、自分のような性格の歪んだ人間は結婚してはいけないし、子供はつくってはいけないと…、心のどこかでずっと思っていました。幸い今の私は、心の広いカミさんのおかげで、結婚することができましたし、有難いことに娘も生まれました。
でも子供育てに関しては、カミさんには大変申し訳ないけど、娘とある程度距離をおくことで冷静さをたもっていると言う状況です。
【まとめ】
両親もだいぶ歳をとってきました。私は長男なので、一般的には将来面倒を見るという流れになるかと思いますが、虐待されていた過去が影響して、そのような気持ちが全く湧いてきません。
今後の対応は『どうするのか?』、また『どう考えているのか?』、虐待されていた私が今決めていることは下記の通りです。
・自分の実家は、絶対に継がない。
・両親の介護や面倒は、絶対に見ない。
・死んで墓に入ってまで虐待されたくないので、父親と同じ墓には絶対に入らない。
書くことで少し冷静になれた気がしますが、いろいろな過去が蘇りし辛くもなります。
今後、どのように対応していけばよいのか?わかりませんが、いずれはきちんと伝えなければいけないことです。
スポンサードリンク